あべもんの勉強ノート『どうせ死ぬのに生きる僕は』

人は必ず死にます。「だからこそ、どう生きていくか?」という事をまとめます。「毎日をちょっぴり生きやすくする」コミュニケーションやストレスケアについても。目標は最低週一回更新、本の出版。

チームで働く第一歩はそのチームを信頼すること

信頼していないと、
仕事を分担できないからです。

一人で働くのなら仕事を分担する必要はありません。

しかしチームで働く以上、
分担する必要があります。

なにも全部を信じろとは言いません。

○○だったらこの人に任せられるな
○○のことはこの人に聞いてみよう

信頼というとハードルが高くなりますが
チームの人たちを知る、
チームの人に感心を持つ
と言えるでしょうか。

これくらいのことなら任せて大丈夫だろう、
と知るくらいで良いと思います。

先日、朝の特撮番組でこんなセリフがありました。
(Twitterでみかけたのですが)
スーパー戦隊(※○○レンジャー達)の全てにおいて共通していることがある。
それは互いの信頼の上にチームが成り立っているということだ。」

地球を守っているチームです。
お互いに信頼していないとチームそのものが成り立ちません。

その上で以前レッドを演じていた俳優さんがこう言っていました。
「今思えばレッドは楽だよな。
みんなを信じていればいいんだから。」

私自身、リハビリテーション科の科長をしているので
この言葉は目から鱗でした。

以前は張り切ってリーダーシップを取らなくてはと
肩肘をはっていました。

しかし、一人では限界があります。
後輩たちを信頼しなくては始まりません。

確かに嫌いな人、関わりたくない人まで信頼するのは難しいかもしれません。

でも嫌いでも知ることはできると思います。

解りあう必要はありません。
むしろこちらがうまく利用してやるくらいの意識はいかがでしょうか。

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アドバイスなんて必要ない~アドバイスは誰のため?~

あえて断言します。
アドバイスはいりません。

正確にいうと、
『相手の意見を聞かない』
アドバイスはいりません。

「アドバイスされる側のことを思って言っているんだ」
という声が聞こえてきそうですが

「あなたは○○すべき!
「○○しなくてはいけない!」

というのはアドバイスというより
『支配』です。

相手のことを尊重しているなら
「○○した方がいいと思う・好きだな」
「私だったら○○するな」
という様に
相手に選択してもらうはずです。

相手に選択する機会を奪っているアドバイスをしていることを
「支配」と言わずなんと言うのでしょうか。

今度は
「自分は上司だ!親だ!先輩だ!」
という声が聞こえてきそうです。

でもそれこそ「相手を支配するため」
ではないでしょうか。

そういった立場の人が優れている、
とは限りません。
そもそも優れているかどうかは関係なく、
人生選択するのは本人自身でなくてはいけません。

自分の人生を選らばなかったという後悔や
選択の機会を奪ったという恨みも買います。

本当に相手を思うのなら
選択の機会は相手に与えてください。

何か始めるならハードルを下げてみよう~意識低い系~

つい先日、テレビを見ていたら整形外科医らしき方が快眠方法を語っていました。

ダメなこと、しなきゃいけいないことを多く語っていました。

それを見ていて思いました。
「そんなにいっぱいやってられねぇよ」と。

個人的には何か新しいことを始める時には
「ハードルをとことん低くした方がいい」
と思います。

人間、新しいことを始める時、
最初の一歩を踏み出すことのほうが難しいものです。

意外とやり始めるとやる気が出てくるものです。
(そこから継続させるのも一工夫必要なのですが)

募金をつのる実験でも、
「いくらでもいいので」
「少しでもいいので」

と言うよりも
「1ドルでもいいので」
「1セントでもいいので」
とハードルを下げた方がより多く募金が集まったそうです。


睡眠方法でとことんハードルを下げるとしたら

・目を閉じるだけでも身体は休まるので目を閉じてみる
・夜寝れない分、昼寝(10分程度でもOK)でカバーする
・大の字で横になるだけでもストレスホルモンを減らしてくれる

などでしょうか。
そして、取り組めだしたら
もう少しハードルを上げていけばいいんです。

他にも例をあげるなら

・英語を話せるようになりたい
なら、
1日1単語覚える
教科書を1ページ開く、または1分開く

といったところでしょうか。

「息するようにできる」くらい簡単でもいいかもしれません。
それくらい意識低くいきましょう。

あなたも何か新しいことを始めたいと思っているなら
「ハードルをとことん下げる」ということを意識してみてはいかがでしょうか。

好きなことだけやる事の弊害~その「好き」は本当に好きなもの?~

「好きなことを仕事にする」
「好きなことだけして生きていく」

人には多かれ少なかれ好きなものがあります。
それを仕事にする人もいるでしょう。

そして、それを良いこととしている雰囲気もあります。

それ自体は素晴らしいことですが、

その「好き」が感情ではなく、
知性で裏付けられたものでないと
おかしな事になると思います。

それは本当に自分で選んだ好きなものなのでしょうか?
周りに乗せられたものではないのでしょうか?

仮に雰囲気で流された「好き」なら
他人に利用されてしまう可能性があります。


「好き」というのは感情です。
感情というのは他人が煽ることができます。
他人からコントロールされてしまうものです。

自分自身で「好き」を選んでいるつもりでも
その背景には成功への嫉妬が絡んでいることもあります。

お金をいっぱい稼ぐ
素敵な恋人と付き合う

成功に憧れて誰かになろうとして
その人を追いかけても
その人にはなれません。

むしろその人に利用されかねません。


では、他人からコントロールされないものはなんでしょう?

それは自分自身や存在、
そしてそれを形作る「知性」です。

知性で「好き」なものを考える、
というのはピンとこないかもしれません。

他人から左右されない、
ということは自分の存在に自信を持つことです。

それは知性に裏付けられるものです。

他人から利用されないようには知識・教養も必要です。

好きなものだけしていることに憧れるのはよく分かります。
僕も憧れます。

ついつい嫉妬もしそうになります。

しかし、
自分に自信を持っていれば他人の生き方に嫉妬するようなことはありません。

そして誰かにいくら憧れようが
その誰かにはなれません。
自分はどう転んでも自分にしかなれません。

幸せがオリジナルであるからこそ、
生き方もオリジナルです。

オリジナルな「好きなもの」を見つけたいですね。

『嫌われる勇気』を勘違いした『ぼっち』達

ブログ内で『孤独』も必要と書きました。

ただ、最近気になるのが
『嫌われる勇気』を勘違いしている人。

嫌われるということを恐れなさすぎて周囲を全く気にしない人がいます。

自分を客観視できなくなるのでしょうか?

それは『嫌われる勇気』というより
『好かれる努力』を放棄しているだけです。

周りに群れず、主体的に自分の生きる意味を考えて
その上で孤独になるなら解ります。

むしろ、それは必要な『孤独』です。

そういった『孤独でいる勇気』が持てないからこそ、
孤独でいる人を『ぼっち』と叩く風習がある気がします。

『出る杭は叩かれる』といった同調圧力は日本は強い気もします
(特に学校など)

しかし、周りを気にしなさ過ぎて
社会的にグレーなこと(違法とまではいかなくても)をやっている人も多く感じます。

「好きなことだけやってればいいんだよ!」

虐待している親に「子供は虐待されるために生まれてきたんだ」という自称カウンセラーもTwitterでみかけましたが

「自分で選んだ道を進んだ結果、孤独になる」ことと
「最初から孤独を選ぶ」のは違います。

「嫌われてもいい」と自分で選んでいるつもりでも、周りから流されている
ということはかなり多いです。
(自分もありました・・・)

周りに流されないためにも、
周囲の意見の距離感を保つことが大切です。

そして、
無視するにしろ、取り入れるにしろ
自分主体で考えることです。

誰かが言ったからではなく、「自分はどう考えるか」です。

そして自分の考えるためにも知識を磨いていきたいですね。

・孤独についてのブログ
https://abemonnote.hatenablog.com/entry/2019/02/21/120649
https://abemonnote.hatenablog.com/entry/2019/02/22/131843


嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

元総理の発言からみる教養の必要性

元総理大臣がこのような発言をしていました。

あまりSNSやネットで政治的な発言をするのもどうかとは思うのですが、
これは「ないな」と。

人工地震説を聞いたことはありましたが、
まさか元総理大臣がするとは・・・

思想や信仰の自由が日本にはあります。
どんな人や宗教を信じるのも自由です。

ただ、思想は感情の影響を受けます。
そして、感情は簡単にあおることができます。

不安や疑心、反感

そんなものをあおりにあおって、
この方が総理大臣になられたのだと思います。

しかし、
あおられた感情は数年で簡単に冷めてしまいました。

人から簡単にあおられないように
知識・教養が必要な世の中なのかもしれません。

なぜネットで世界中に繋がっているのに孤独なのか~孤独は山になく、街にある~

『孤独は山になく、街にある。
一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にある。』

三木清の『人生論ノート』からの言葉です。P75

人は一人では生きていません。
むしろ「人との繋がり」、「間」の中で自分の生きる意味を探していくものです。

しかし、
その「人との繋がり」が大きくなりすぎると、
かえって自分が解らなくなります。

ネットで多くの人と繋がっているはずなのに孤独なのは、
「多くの人と繋がっていること」こそが理由です。


昔の人が一生で会う人は限られていました。
せいぜい100人程度でしょう。
だからこそ、限られた人間関係でした。

しかし、徐々に年月が過ぎるにつれて、
関係する人たちは増えていきます。

三木清は、
『交通の発達で世界の隅々まで互いに関係付けられている』
『現代人は無限定な世界に住んでいる』
と書いています。
『人生論ノート』P70

三木の生きた70年以上前でそうなのですから、
インターネットやSNSの発達した現代では
文字通りの無限となります。

そこにむしろ、現代の孤独があります。

人間関係が無限定になったからこそ、
人格や存在といったものにまで
形が無くなっていきました。
三木清は『無性格』と表現しています。

「幸せが何なのか解らない」
というのもここに原因があると思います。

三木清
『今日の人間の最大の問題は、かように形のないものからいかにして形を作るか』
と書いています。
『人生論ノート』P71

この『形成』は、
それは「何か物を作る」といった文字通りの意味だけでなく、

自分で主体的に物事を考える
「自分の意志を自分自身で作っていく」
というような意味も含みます。
『自己形成』と言いますしね。

『幸福はオリジナル』と度々書きました。
個性を自分で見つけていく。
幸せを自分でつかみとる。

それこそが人間の生きる意味とも言えます。

もし、あなたが孤独と感じるのだとしたら、
幸せについて考え直してみてはいかがでしょう。
嫉妬にまみれた成功を妬むのではなく、
ぜひオリジナルな幸せを探していきましょう。