あべもんの勉強ノート『どうせ死ぬのに生きる僕は』

人は必ず死にます。「だからこそ、どう生きていくか?」という事をまとめます。「毎日をちょっぴり生きやすくする」コミュニケーションやストレスケアについても。目標は最低週一回更新、本の出版。

なぜネットで世界中に繋がっているのに孤独なのか~孤独は山になく、街にある~

『孤独は山になく、街にある。
一人の人間にあるのではなく、大勢の人間の「間」にある。』

三木清の『人生論ノート』からの言葉です。P75

人は一人では生きていません。
むしろ「人との繋がり」、「間」の中で自分の生きる意味を探していくものです。

しかし、
その「人との繋がり」が大きくなりすぎると、
かえって自分が解らなくなります。

ネットで多くの人と繋がっているはずなのに孤独なのは、
「多くの人と繋がっていること」こそが理由です。


昔の人が一生で会う人は限られていました。
せいぜい100人程度でしょう。
だからこそ、限られた人間関係でした。

しかし、徐々に年月が過ぎるにつれて、
関係する人たちは増えていきます。

三木清は、
『交通の発達で世界の隅々まで互いに関係付けられている』
『現代人は無限定な世界に住んでいる』
と書いています。
『人生論ノート』P70

三木の生きた70年以上前でそうなのですから、
インターネットやSNSの発達した現代では
文字通りの無限となります。

そこにむしろ、現代の孤独があります。

人間関係が無限定になったからこそ、
人格や存在といったものにまで
形が無くなっていきました。
三木清は『無性格』と表現しています。

「幸せが何なのか解らない」
というのもここに原因があると思います。

三木清
『今日の人間の最大の問題は、かように形のないものからいかにして形を作るか』
と書いています。
『人生論ノート』P71

この『形成』は、
それは「何か物を作る」といった文字通りの意味だけでなく、

自分で主体的に物事を考える
「自分の意志を自分自身で作っていく」
というような意味も含みます。
『自己形成』と言いますしね。

『幸福はオリジナル』と度々書きました。
個性を自分で見つけていく。
幸せを自分でつかみとる。

それこそが人間の生きる意味とも言えます。

もし、あなたが孤独と感じるのだとしたら、
幸せについて考え直してみてはいかがでしょう。
嫉妬にまみれた成功を妬むのではなく、
ぜひオリジナルな幸せを探していきましょう。