あべもんの勉強ノート『どうせ死ぬのに生きる僕は』

人は必ず死にます。「だからこそ、どう生きていくか?」という事をまとめます。「毎日をちょっぴり生きやすくする」コミュニケーションやストレスケアについても。目標は最低週一回更新、本の出版。

「勇気をくじく人」から「勇気づける人」になれる最初の一歩

勇気をくじく人から勇気づける人になれる最初の一歩は、

主語を「あなたは」などの相手ではなく、
「わたしは」などの自分にすることです。

一言で『勇気』といっても色んな定義があると思います。
ここでは『困難を乗り越える力』と定義しましょう。

勇気づける人は壁に立ち向かう人の背中をそっと押せます。
勇気をくじく人は足を引っ張ってしまいます。

「お前にはどうせ無理だ」
「そんな事やっても意味ない」

そこまであからさまな否定ではなくても、勇気をくじくこともあります。

もっと言うと同じ言葉を言ったとしても、
勇気づけになる人と勇気くじきになる人がいます。

「頑張れ!」という言葉を
「よし、やろう!」と思うこともあれば、
「自分には無理だ」と思うこともあります。

「そのやり方じゃダメだよ」という言葉を
「諦められない」と思うこともあれば、
「もうやめてしまおう」と思うこともあります。

勇気づけと勇気くじきの大きな差、
その中でも簡単に意識できることが『主語』です。

『頑張れ!』なら、
「頑張ってくれて僕は嬉しい」が勇気づけ
「君は頑張らなきゃいけない!」が勇気くじき

『それじゃダメだよ』なら、
「そのやり方より、こっちのやり方の方が僕はいいと思う」が勇気づけ
「そのやり方なんて君はダメだ」が勇気
くじき

細かいことを言うともっと気を付ける所はあるのですが、
このやり方は簡単なのではないかと思います。

主語が相手である勇気くじきは
断定的になりやすいのでキツい印象だと思います。

対して勇気づけの方が柔らかい印象だということは、
理論的にだけでなく感覚的にも理解してもらえるのではないでしょうか。

もし、あなたが誰かを勇気づけたいと思うのなら主語を『わたしは』に変えてもらえると嬉しいです。

『個性』と『人と違う事をする』という事は違う。

『個性』を追い求めるあまり、
『人と違う事をする』ことばかりに目が向いている人が多く感じます。

『「個性」というのは、つくろうとしてつくれるものではない。
つくり手が本物を追及する過程で、もともとの人間性の違いが、技術や感性の違い、発想力の違いになってあらわれて、他とどうしようもなく違う部分が滲み出て、その必然の結果として生み出されてくるものだ。』
『「人と違うことをしよう」という発想は、「人と違うものがない」ことを自覚していることの裏返しでしかないのだ』
「田舎で見つけた腐る経済」文庫版 230P

最近、個性というものを追い求めすぎて
人と違うことをする事が強くなりすぎている様に感じます。

注目を集めたくて行き過ぎたYouTuberや、
SNSのイイね欲しさにバイトテロするような人とか。

個性という成果にばかり目がいき、
過程の大切さというものがあるように感じます。

その背景に「成功への嫉妬」もあるのではないか?
と思います。

成功は地位や名声など、
人との「量」を競うものです。
YouTubeSNSのイイねも「量」を競っての結果です。

量を競う事をやめることが成功への嫉妬がなくなる唯一のことです。

そのためにはどうするべきか?

幸せの「質」を考えていくことです。

成功の量を競っているうちは幸せにはなれません。
上には上がいますから。

幸せはオリジナルなものです。
自分にとって何が幸せか人によって違うからです。
「何が好きか?」とも言えるかと思います。

そういった質を求めていった結果、幸せや個性が生まれるのだと思います。

成功を競うのをやめて、
幸せの質を考えていきませんか?


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楽天主義と楽観主義は似ているようでまったく違う

楽天主義はどんな時もポジティブでいること
楽観主義は現状も受け入れて行動すること

昨日の話とも被りますが、
どんな時もポジティブでいたら
それは悲観主義と変わりません。

悲観的になりそうな未来があるとします。

悲観主義は「私なんてそんな風になって当たり前」と行動に移しません。

楽観主義は「私がそんな風になるわけない」と同じように行動に移しません。

では、楽観主義は?
「どうなってもいい様に準備をしておこう」と唯一行動に移します。

どれだけ未来を思っても、
未来は今の延長線上です。

今を変えなければ未来は変わりません。

逆をいえば今を意識していれば未来はどうとだってなります。

幸せは「なる」という未来ではなく、
幸せで「いる」という今に直結していると
僕はおもいます。


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どんな時でもポジティブなのはネガティブと変わらない

どんな時もポジティブだと
「結局なにもしない」という点では
ネガティブと変わりません。

ネガティブは悪いものでポジティブは良いものと見なされているかもしれません。

ネガティブさにも実は良い面もあります。

それは『不安』を感じとる力。
不安は将来のリスクを予想することと言えます。

ネガティブ=悪として『リスク』をまったく気にしなくなると、それはそれで問題です。

例えば雨が降りそうだったとき。
『雨が降りそう』をポジティブにとらえれば『大丈夫だろう』と傘を持っていかない
ネガティブにとらえれば『どうせいつも雨に打たれるし』と結局傘を持っていかない

解っているのに対応しないという点では
ポジティブもネガティブも一緒になってしまいます。

『雨が降りそう』という不安に対して
天気予報を見るという事実・知識を入れたり、
どちらでも大丈夫なように傘をもっていくという行動も大事です。

ネガティブとポジティブ、バランスをとっていきたいですね。

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誰かの成功が他人に当てはまるとは限らない。

成功者ほど
「○○したら成功した」
「○○すれば絶対成功する」
といいますが、
それが他人に100%当てはまるわけではありません。

多くの人に当てはまる成功の秘訣というものはあるかもしれませんが。

「普通」と呼ばれるものですら100%ではありません。
「部屋は片付いておいた方がいい」というのは多くの人に当てはまるかもしれませんが、
有名な作家でも散らかってることもあります。

https://t.co/wjab7kIvyk

個人的には散らかった机の上で作者が力をこめて書いた小説の方が好きですが。

成功者の法則を真似したり
「普通」を参考にするのも解りますが、
誰かを追っかけてもしょうがありません。

自分は自分以外の何者にもなれないのはゆるぎのない事実なのですから。

そもそも成功した人の真似をしたところで二番煎じなので
成功できるわけありません。

そして、
成功と幸福はイコールではありません。
成功は幸福の条件ではありません。

幸福は個性・人格的なもの、
オリジナルなものです。

誰かの成功を追っかけてもしょうがありません。
参考には出来るかもしれませんが。

自分主体で考えていきたいですね。


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「普通は○○だ」はそれに当てはまらない人を傷つけている

「普通は○○だ」と言う人は
それに当てはまらない人を傷つけているという
自覚はあるのでしょうか?

普通の家庭
普通の仕事
普通の性別

普通の考え方
普通の生き方・・・

普通ってなんでしょう?

生まれた地域から出ることもできず
自分で仕事や結婚相手も選べる事ができなかった時代や国なら、
ある程度の「普通」はあったかもしれません。

でも、今の日本は自由でしょう。
生き方も様々です。

生き方が自由であれば
「普通は○○だ」と一般論で語ることはできないはずです。

「普通は○○だ」と語ることは
『普通』に「当てはまる」側の考え方です。
「当てはまる」側が「当てはまらない」人たちに自分の生き方や考え方を強要しているとも言えます。

少数派の意見を多数派が押さえつける世の中が発展していくのでしょうか。
それで発展した世の中なんて僕はごめんです。

じゃあどうしていくか?
「一般論以外で語る」にはどうすればいいでしょう?

まず前提として相手を否定しないこと。
(もちろん、法律上ダメなことは別として)

そして、
主語を自分にすることです。
「普通は○○だ」ではなく、「私は○○だと思う」と語ることです。

あなたは「普通は○○だ」を相手に当てはめていませんか?
または、「普通は○○だ」を当てはめてくる人に苦しめられていませんか?

「普通」なんて幻想です。
「自分は○○だと思う」を意識してみてはいかがでしょうか。

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裏切られた!信頼してたのに!と怒る人ほど何もしてないのでは?

「裏切られた!」
「信頼してたのに!」

という人ほどその人自身は何もしていない事が多く感じます。

自分は何もしていないからこそ
他人を頼りきる。

もしくは、
「自分を信じてさえいればいい」
と依存させるという事もあるでしょうか。

宗教やスピリチュアル、
セミナーを開くような団体
最近だとオンラインサロンとかも

強力なトップ、教祖がいて
搾取・依存させられる。

不信がつのり、
抜けようとすると
「裏切りもの!」
とののしる。

でもそういう人ほど何もしていません。
その人を信頼して適切な人間関係を築けていれば、
「信頼してたのに!」なんて言葉はでないはずです。

そんな言葉をいう輩とは距離をとって正解です。

搾取や依存されられてまで
あなたが付き合う必要はないのですから。

※追記
医療従事者やセラピストが開くセミナーを開くでも搾取・依存は多いです。
僕もされた経験があるので、気をつけてないとです。
また自分がセミナーを開く上でもする側に回らない様に気をつけてないとな、と自戒します。
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