あべもんの勉強ノート『どうせ死ぬのに生きる僕は』

人は必ず死にます。「だからこそ、どう生きていくか?」という事をまとめます。「毎日をちょっぴり生きやすくする」コミュニケーションやストレスケアについても。目標は最低週一回更新、本の出版。

孤独のススメ~良い『ぼっち』になろう~

一人ぼっち、略して『ぼっち』。
孤独でいることは悪いことのように言われがちです。

良い『ぼっち』がいるとしたら、
群れに属するのではなく、
『自分の意志で行動する人』だと思います。

『孤独でいる強さを持っている人』とも言えます。

哲学者三木清も孤独を決して悪いもののようには言っていません。

『孤独には美的な誘惑がある。
孤独にな味わいがある。
もし誰かが孤独を好むとしたら、
この味わいのためである。』
三木清 『人生論ノート』P75

三木清がこの文章を書いたのは戦前、
70年以上前です。

その頃の移動手段といえば良くて機関車でした。
その頃と比べれば人との繋がりは、
天と地との差があります。

インターネットは当たり前になり、
SNSも盛んです。
人との繋がりは無限に増えます。

ところが人付き合いに疲れる人が増えている様に感じます。
むしろこの『無限な人との繋がり』が疲れの原因の様です。

だからこそ、孤独には味わいがあるのかもしれません。

三木清は孤独についてこうも書いています。
『孤独は感情ではなく、知性に属するものでなければならぬ』
『人生論ノート』P76


周囲とただ群れるのではなく、
自分自身で考える必要が時にあります。

自分の意志で「これは良い」と思って行動して
その上で孤独になるなら良いのではないでしょうか。

自分が好きな欅坂の曲でもそんな言葉がありました。
孤独になっても信じたものを突き進んだっていいと思うのです。

孤独に悩んでいる人、
夢を追いかけている人に
ぜひ、聞いてもらえると嬉しいです。

https://youtu.be/DeGkiItB9d8

怠け者は悪、とは限らない。~努力は幻想だ~

怠け者=悪とされがちですが、
必ずしもそうは限りません。

上司の立場なら部下に任せられないのは、
それはそれで問題です。

むしろそういった怠け者を許さない、
「努力さえしてればいい」という幻想が
人に任せられない雰囲気を作っている気がします。


インターネットでのコピペにこんなものがあります。

『軍人は4つのタイプに分類される。

有能な怠け者は司令官にせよ。

有能な働き者は参謀に向いている。

無能な怠け者も連絡将校か下級兵士くらいは務まる。

無能な働き者は銃殺するしかない。』


自分はこちらのブログで知りました。
https://ueno.link/2019/02/08/komyusyou/2/


優秀なリーダーというのは部下にある程度仕事を任せます。
それは部下を信頼しているからでしょう。

部下を信頼できないリーダーはそれはそれでどうかと思います。

リーダーがいなくても
チームメイト同士で助け合える環境こそ
理想のチームです。
その環境作りこそリーダーの仕事といってもいいでしょう。

もちろん、チーム全体がどういう方向にいくのか?
目標設定などはリーダーの仕事の一つでしょう。

しかし、
リーダーが部下の仕事までやっていては
いつまでも部下は成長しません。

では、部下の立場で怠け者だったらどうでしょう?

その多くは「言われたことだけやるタイプ」になるでしょう。

そういうタイプは
「言われたことしかしない」
自分でやるべき事を考えないタイプとして
悪く言われがちな気がします。
上のコピペでは「無能な怠け者」です。

でも周囲の気持ちは置き去りに
自分の考えだけで行動するのも考えものです。
「無能な働き者」です。

ある程度の経験や知識があれば良いものの、
一人よがりの行動は悪い方向になりがちだと思います。

普段料理を全くしたことがない人が手伝おうとしたけど裏目にでて、
「邪魔だから何もしないで!」
と怒られる、
そんな状況です。


そういった意味では「怠け者」になるのも一つの方法かもしれません。

最近、「死ぬ気でがんばる」努力を必要以上に持ち上げる雰囲気が
日本社会全体に溢れている気がします。

しかし、悲しいことに人が一人死んでも世界は簡単には変わりません。

だったら「死ぬ気でがんばる」より、
ある程度人に任せた方が上手くいくのではないか
と思うのです。

リーダーであれば「どうやったら任せられるか?」と考えるのも一つだと思います。
部下の立場であれば「怠ける」と言えば語弊がありそうなので、

どうすれば今の仕事を
・効率化できるか
・好きになれるか
・楽しくできるか

という視点をもってみてはいかがでしょうか?

リーダーが絶対にしてはいけないこと。~500年前から言われていること~

それは『人の恨みを買うこと』です。

16世紀の政治思想家、マキアヴェリ
君主論』の中で君主・リーダーは、
「愛されなくてもいいが、
人から恨みを買ったりするのを避けなければならない」
としています。

そして、
一番大きな恨みを買うのは
(市民や部下の)『財産や婦女子に目をつけたり、略奪することである』
と書いています。
マキアヴェリ君主論』 P154

君主論 - 新版 (中公文庫)

君主論 - 新版 (中公文庫)


「略奪」というのは
今の僕らの時代ではピンとこないかもしれませんが、
「名誉を奪う」ということも含まれます

パワハラ・セクハラなどのハラスメント
他人をバカにする
大声で罵倒する
見下す
上から目線で威圧する

などです。

他人の足を引っ張る
今よりも下にしようとする
という意味では
「嫉妬」もそうかもしれません。

アドバイスも気をつけたいところですね。
アドバイス
「あなたは○○すべき!」という上から目線の押し付けになりがちです。

「選択する機会を奪っている」という言い方ができるかもしれません。

では、どうしたらいいのでしょう?

「相手のことをバカにしない」
「対等な立場として接する」
なんてのは当たり前ですが、

「主語を自分にする」
ということをオススメしたいです。

怒ったり叱ったりするときには
「そういうことされたら僕は嫌だ」
「そういうことは私はしないでほしい」
などです。

アドバイスするときは
「私は○○の方がいいと思う」
などです。

「アイ・メッセージ」と言います。

上から目線ではなく、
横から目線で物腰も柔らかくなります。

「アイ・メッセージで人には話なさい!」
なんて言い方では反感を買います。

リーダーでなくても、
人と話す時は「アイ・メッセージ」を心がけると
(私は)良いと思います。

柔らかくなったでしょうか?

「良いな」と思ったらぜひためして貰えると
(私は)嬉しいです!

感嘆による簡単な幸福の高め方~疲れたら神社へ行こう~

前回、
「幸福になるためには自信を持とう!」
と書きました。

自信とは「心の余裕」とも言えます。

心の余裕を持つための簡単な方法、
『感嘆する』
という事を今日はまとめます。

そして、そのキーワードが「神社」

2015年、カリフォルニア大学の研究チームが、
『「ある感情」を体験した回数が多いものほど、心理的な不安や体内の炎症レベルが低いという事実に気づきました。
その感情が「畏敬」です。』
最高の体調 220P

畏敬とは、
人や物、自然に触れた時に
心の底からすごいと思える(感嘆する)ような感情です。

自分の理解をこえるようなもの
素晴らしい自然や建物
尊敬できるような人
などに対して、
鳥肌が立つように感嘆する感情です。

どれだけ心が動いたか、
感情を揺さぶられたかとも言えるかもしれません。

情緒的な体験というのは
生きている実感、
「生きたい」という思いの基礎だと思います。

心身の健康のためにも、
最近疲れやすいと感じる人にこそぜひ、
色んな人やものに触れてほしいと思います。

ライフネット生命の創業者、
出口治明さんは
教養を高めるものとして「本を読む、人に会う、旅をする」の3つをあげています。

個人的には定期的に自然に触れる事をオススメしたいです。
今は田舎に住んでいるので、
あまり感じませんが

都会にいると自然に触れる機会なんてそうそうありません。

都内だと冒頭でもあげた「神社」や仏閣などでは、
自然豊かな場所もあると思います。
比較的「畏敬」を抱きやすい場所であると思います。

旅をするということでも、
神社が地域を代表する観光地になっている所も多いと思います。

僕の地元・宇佐神宮もそうですね。
真っ赤な作りは確かに「畏敬の念」を抱きます。

スピリチュアルなものがブームを呼んだこともありますが、
そういった癒しを求めている部分も
あるのかもしれません。

最近疲れやすいと感じたら
自然に触れたり、
「すごい!」と思うものにぜひ触れてみてください。

神社でなくても近くの公園でもいいと思いますよ。

嫉妬は幸福を遠ざける。~幸せになりたいなら○○を持て~

嫉妬は最も幸福からは遠い感情とも言えます。
それは、
嫉妬している人=自分も他人も認められない人だからです。

逆を言えば、
自分と他人を認められる「心の余裕」、

つまり『自信』を持つことが幸福への近道と言えます。


何回か触れましたが、
嫉妬は成功といった他人と量を競うような感情です。

それに対して、
幸福はオリジナル、個性的なもので誰の影響も受けないものです。
そして、
存在そのもの、『人格』とも言えます。

つまり、
嫉妬は他人の人格、存在を認められない。
そして自分自身の人格、存在に自信がないことなのです。

『嫉妬は性質的なものの上に働くのでなく、量的なものの上に働くのである。
特殊的なもの、個性的なものは、嫉妬の対象とはならぬ。
嫉妬は他を個性として認めること、自分を個性として理解することを知らない。』
三木清『人生論ノート』P80

では、どうすれば嫉妬を減らせるのでしょう?

三木清は『自信を持つこと』をあげています。
そして、
・自信は自分で物を作ることによって自信が生じる。
・物を作ることによって自己を作り、やがて個性になる。
としています。

三木清は物を作ること、
『創造』を本の中でも重要な概念と語っています。

創造こそある意味「人生」といえます。

人間は一人では生きていません。
だからこそ、他人と比べて嫉妬しています。

だからこそ他人を気にするのではなく、
自分の意志で生きる意味を作っていく必要があるのです。

嫉妬は多くの場合、
相手をより下にさせようとします。
自分より成功しやがって➡失敗すればいいのに・・・という様に

幸福は自分の意志で創造するもの。
より良く、より前を目指していくものです。

まずは、他人に流されるのではなく、
自分の意志で考えることこそ
幸せの第一歩だと思います。

オリジナルな幸福の見つけ方~幸せってなんだっけ?~

『幸せってなんだっけ?
うまい醤油があることさ』
なんてCMがありました。

それくらい人にとって幸せとはオリジナル、
個性的なものです。

みんなが想像するような「成功」は幸せとは違います。

そんな「オリジナルな幸せ」を見つけるには
どうしたらいいのでしょう?

そのためには、
「そもそもどんなことが自分にとって幸せなことか」知る必要があります。

つまり、
「自分が大事にしている価値観とは何か?」考えることです。

自分にとってどんな状態が幸せであるか解らないと、
幸せになっているかどうかすらも解りません。

例えば、
優先するのは家族の幸せか?自分の夢か?
安心・安定を選ぶのか、変化・変革を選ぶのか?
より多くの人や新しい人と繋がりたいのか?
一人の時間を大切にしたり、親しい人との仲を深くしていきたいのか?

などです。

※『価値観チェックリスト』などと検索すると色々でてきます。リストの中から自分の大切な価値観を選んでみてもいいかもしれません。


そして、何が大事なのか、
『自分で考えていくこと』が大切です。

理由の一つが
『「幸福感」と「幸福」は違う』
ということです。

「幸福感」は感情、感性的なもので
「幸福」は理性、知性で自らつかむものです。

『幸福を単に感性的なものと考えることは間違っている。』
三木清『人生論ノート』 P21

『感情は多くの場合客観的なもの、社会化されたものであり、
知性こそ主観的なもの、人格的なものである。』
同 P75

「感情を煽る」といいますが、
感情は他人からコントロールされてしまいます。
社会や身の回りの影響を強く受けます。

しかし、
知性に裏付けされたものは誰の影響もうけません。
知性は人格そのものだからです。

そして、幸福とは人格、存在そのものです。
だからこそ、幸福は知性でつかむものなのです。

そのために自分にとって大切なものを見つめ直してみてはいかがでしょう?

成功は嫉妬されても、幸福は嫉妬されない

前回、
「幸せはオリジナルで、
成功は絵に書いたようなもの」と書きました。

成功(金、名誉、恋人など)は誰にも当てはまる分、
嫉妬を呼びます。

自分より稼いでいる
自分より出世している
自分より恋人がキレイ・かっこいい

どれも成功の「量」を比べているからこそ嫉妬してしまいます。
幸福は存在そのもの、「質」です。
誰とも比べようがありません。

それは見た目への意識、
(キレイ・かっこいいなど)
に似ています。

「キレイ、かっこいい」は人とは比べられない個性、
オリジナルなものです。

それを比べてしまうからこそ嫉妬してしまいます。

そもそも100%の人が
「キレイ、かっこいい」と呼ぶような人はいません。
どれだけ人気の役者さん、モデルさんでも一定数アンチはいます。

多くの人がひかれる理由があるとしたら、
きっとその内面からの美しさからだと思います。
(もちろん、「身だしなみ」としての外見も必要ですが)

美しい・カッコいい人は
生き方や存在が美しい・カッコいいのではないでしょうか。

自分なりの美しさやカッコよさを見つけていく過程は
幸福を見つける過程と似ている気がします。

両方とも「存在」「質」を意識するからです。

自分なりのオリジナルな美しさ・カッコよさ
(生きざまとも言えるかもしれません)
を見つけることが
幸福の近道なのかもしれませんね。